演童話
アリの観察ノート
夏休みの宿題は、観察ノートを作ることです。小学校五年の有野ユウ君も、何を観察しようかと考えました。
「朝顔の種をまいて、その成長を記録しようかなあ。でも、もし芽が出なかったら、ずっと土ばかり見ていることになるし、…。雲の流れを観察するのはどうかなあ。毎日同じ時間に、窓から見える空をノートにかくんだ。でも、毎日じゃあ、どこへも遊びに行けないし、…。そうそう、前から不思議に思っていたんだけど、アリの巣というのは、土の中でどうなっているんだろう?どんなふうに巣を作るんだろう? ようし、これに決めた」
ということで、有野君はアリの観察をすることにしました。
お母さんからジャムの空きビンをもらって、三分の一ぐらい土を入れました。小枝や小石も少し入れました。アリは、庭ですぐに見つけることができました。二十二匹つかまえて、ビンに入れました。
ビンのふたは、ブリキでできていて、このままふたをすると、アリたちは息ができません。そこで、ブリキのふたに穴を開けることにしました。お父さんにクギとかなづちを借りて、穴を開けました。アリより大きな穴を開けてしまいましたが、ビンの内側はすべすべしているので、アリはふたのところまで登れません。
はじめ二十二匹のアリたちは、ビンの中の小さな世界で走り回っていました。アリたちは、閉じこめられたことがわかったのか、みんなで何やら相談しはじめました。どこかに逃げ道はないかと、相談しているのでしょうか? いいえ、ちがいます。アリたちは、サッカーをする相談をしていたのでした。
サッカーボールは、小枝を切って、それをけずって作ったようです。別にそのために、器用なアリをつかまえたわけでもなく、サッカーのために二十二匹つかまえたわけでもありません。それにしてもアリたちは、どこでサッカーを覚えたのでしょう。ちゃんと二チームに別れて、ボールをけりあっていました。
どちらのチームが勝ったのか、よくわかりませんが、サッカーの試合は終わったようです。試合でみんな疲れたのか、しばらくアリたちはじっとしていました。
少したってみんなは、また何やら相談しはじめました。今度は野球でもするというのでしょうか?ボールは、サッカーボールをもっと小さくけずればいいし、バットは小枝をもっと細くけずればいい。チームの人数が多くなるけど、かんとくとコーチ役を決めれば、ちょうどいい人数になります。
相談していたのは、野球のことではなかったようです。土をほって、巣を作る相談をしていたようです。アリたちは、穴をほりはじめました。透明なビンなので、外から見ていると穴をほる様子がよくわかります。有野君は、これで夏休みの宿題ができそうだと思いました。
次の日、有野君はビンの中の様子を見てみました。
ずいぶん多くの道が、土の中にできていました。一晩でアリたちは、このミミズがはったような道を作ったようです。二つの部屋もできていました。ひとつは、食料倉庫かもしれません。もうひとつは、卵を産む部屋かもしれません。ビンのまんなかには、まだ部屋はあるかもしれませんが、ビンの外から見える部屋はその二つでした。
有野君は、観察ノートに部屋の大きさや道の様子を書きとめました。
そして、有野君はビンのふたを開けて、なめていたアメをぽとんと落としました。
次の日も、有野君はビンの中の様子を見てみました。
昨日入れたアメが、小さくなってアリの部屋にありました。
「あのアメをみんなで食べたのかなあ。アリたちにとっては、とても大きなアメなのに。一晩でそんなに食べられるのかなあ」
有野君は不思議に思い、ちょっと首をかしげました。さらによく観察すると、昨日と様子がちがうところが、まだ他にもありました。
「おや? アリの数が増えているなあ」
数えてみると、アリは五十匹以上いるようです。
「外のアリが、ビンをよじ登って入ったのかなあ。それとも、どこかに卵がある部屋があって、そこでアリたち生れたのかなあ」
不思議なことばかりでしたが、有野君は観察ノートに書きとめました。
その夜、ふとんの中で「不思議だなあ」思いながら、有野君は寝てしまいました。
寝てから、どれくらい時間がすぎたでしょう。有野君は、ガサゴソする音で目をさましました。目をこすりながら、うす明かりに見えたのは、アリの行列でした。
「どこからやって来くるんだろう?」
アリたちが、やって来る方向に目をやりました。そこには、なんとジャムのビンがありました。ビンのふたの穴から、何匹ものアリが出てきていました。ふたまでは登れないはずなのにと、ビンの中を見ると、小枝ではしごが作られていていました。アリたちは、そのはしごをせっせと登っていました。
これは、夢ではないかと思って、ほっぺをつねってみました。
「いたい!」
夢ではないようです。有野君は、観察ノートにまた書きとめました。
今度は、アリたちがどこへ行くのか気になりました。つけて行くことにしました。ちょっとした名たんてい気分です。アリたちの行く先は、台所でした。「やっぱり」と、有野君は思いました。
さらに進むと、アリたちがむらがっているところがありました。
「そりゃあ、ないだろう。それはお母さんが、ぼくのために作ってくれたパンプキンパイ」
しかし、名たんていたるもの、こんなことで気持ちをみだしてはなりません。なみだが出るのをこらえて、観察ノートにまた書きとめました。
アリたちは、次から次へと食べ物をさがしては、それらを巣に持ち帰りました。冷蔵庫の中はからっぽになり、たきたてのごはんがあったすいはん器の中も、からっぽでした。
アリたちは、すいはん器をひっくり返しました。ガラン、ゴロン、ゴロン。その音でお母さんが目をさまして、台所にやってきました。
「きゃー!」
お母さんの叫び声で、お父さんも起きてきました。
「いったい、どうしたんだ! 台所が、めちゃくちゃじゃないか」
アリたちは、台所をかきまわすだけかきまわしました。
有野君は、この様子もしっかり観察ノートに書きとめました。
「何、のんきなことをやっているんだ、ユウ!」
お父さんは、観察ノートをはらい飛ばしました。
「ここは危険だ! ユウもお母さんも外に出るんだ」
お父さんは、アリたちの様子を見て、これは普通ではないと思いました。非常に危険なアリたちが、この家をのっとろうとしているのだと思いました。事実そうでした。
三人は、外に飛び出したものの、おろおろするばかりでした。外はまっくらで、静まりかえっていました。しかし、家の中からは、ミシミシという気味の悪い音がしてきます。
そうこうしているうちに、アリたちが家の外に出てきました。窓を開けて、かべをつたい、屋根にまで登りはじめました。かべや屋根をアリたちがおおいつくして、家が黒い大きなアリになりそうないきおいです。
お父さんは、となりの家の人をたたき起こして、電話を借りました。消防車を呼んで、アリたちを水で吹き飛ばしてもらおうと思ったからです。
「もしもし! 消防しょでしょうか?」
「午前三時、十二分三十秒をお知らせします。ピー」
お父さんはあわてていたので、電話番号をまちがえてしまいました。
「ええと、ええと。消防しょは何番だったかなあ」
「一一九よ!」と、お母さんが叫びました。
こういう時は、お父さんよりお母さんの方が、落ちついているようです。さっきは、台所で「きゃー!」と言っていたお母さんなのに。
まもなく消防車が、かねを鳴らしてかけつけました。けが人が出るかもしれないと、救急車もサイレンを鳴らしてやってきました。近所の人たちはみんな、かねとサイレンの音で目をさましました。
消防車がきた時には、有野君の家の屋根は、すっかりアリにおおわれていました。
「放水開始!」
消防隊の隊長が、屋根に放水するように、命令しました。だけど、アリたちはしっかり屋根にしがみついていて、洗い流されませんでした。
「これ以上やってもむりだ。しかし、このままでは、近所の家もアリにおそわれて、ぜんめつするかもしれん。何とかここでくいとめなくては」
これは、もう有野君の家だけの問題ではなくなりました。アリはどんどん増えて、この町、この日本をはかいしてしまうかもしれません。隊長は、決心しました。
「今すぐ、自えい隊を呼ぶんだ!」
「おい、あれは何だ!」
消防隊員の一人が、叫びました。
「あれは、ハネアリと言って、飛ぶことができるんだよ」
有野君は、落ちついてそう説明しました。
「自えい隊が早く来ないと、ハネアリたちが全国に飛んで行ってしまう。まだ来ないのか?自えい隊は!」
隊長がそう言った時、自えい隊がかけつけました。
自えい隊の隊員たちは、有野君の家をとりかこみました。今度は自えい隊の隊長が、号令をかけました。
「火炎放射の用意。かまえて!」
「ちょっと、ちょっと。待てくださいよ! そんなことをしたら、私たちの家が、もえてしまうじゃないですか!」
「お父さんのおっしゃることは、よくわかります。お母さん、それにユウ君の気持ちもわかります。しかし、このままにしておくと、アリたちが国をはかいしてしまいます。家がなくなることは、がまんしてください。国がなくなるよりは、まだましですから」
「そ、そんなあ」
お父さんとお母さんは、がっくりきて、返す言葉もありませんでした。
「火炎放射をかまえて。 うてーっ!」
有野君の家は、炎につつまれました。
アリたちは、いっせいに逃げ出しました。逃げおくれて、焼かれて落ちるアリたちもたくさんいました。その時、
「あ、忘れ物だ。台所に観察ノートをおいたままだ」
有野君は、思わず家の中に飛びこんで行きました。
「待つんだ、ユウ! 焼け死ぬぞ!」
お父さんの声はとどかず、
「ユウ! あああ・・・」
お母さんも、その場に泣きくずれてしまいました。
「火炎放射、やめーっ!」
隊長の命令が、夜空にむなしくひびきました。何もかもが、もうおそかったのでした。けむりと炎は、家の中まではいり、だれも有野君を助けることはできなくなっていました。
「あついよぉ、あついよぉ」
と言う有野君の声がしました。
有野君は、汗をびっしょりかいて、目をさましました。
「どうして、こんなに暑いんだよお!」
「ごめん、ごめん」
と言って、お母さんが部屋に入ってきました。
「ユウが、何かにうなされる声がしたので、のぞきにきたんだけど。暑かったのね。実は昼間天気がよかったので、おふとんをほしたのよ。早くしまえばよかったのに、うっかり夕方まで、そのままにしていたの」
「ふとんに太陽の匂いがして、気持ちのいい時もあるけど、夏はだめだよ、夏は。本当に気をつけてね!」
「ユウだって、気をつけてね」
「何がだよお?」
「ジャムのビンをひなたにおいたままだったわよ。あれじゃあ、アリたちがかわいそうよ。ユウこそ気をつけてね!」
二人は、少しだまったあと、
「あ、はははは・・・」
と、いっしょに笑いました。
だけど、お父さんには、二人の笑い声は聞こえませんでした。お父さんはビールを飲みすぎて、いびきをかいて寝ていたからです。
参考:アリの観察ノート
口演童話