口演童話「謝らない」
謝らない「万引き犯」
小学校5年のときだ。近所に駄菓子屋が何軒かあった。その一軒に行った。欲しいものを選んでいたら、その時奥から電話のベルが鳴った。店の主人はおばあさんで耳が遠いのか、電話の音に気がつかないようだった。それで「電話がなっているよ」というと、おばあさんは音に気づいて奥に入っていった。
ぼくはその間に欲しいものを選んで、おばあさんが戻ってくるのを待っていた。ところがなかなか戻ってこない。それで店の他のものに目が移り、それを買うお金は持っていなかったのに、それをポケットに入れてしまった。
おばあさんが戻ってきて、はじめに選んだ菓子のお金を払った。自分の欲を満たすために、つい万引きをしてしまった。万引きをしたのにおばあさんからは「ありがとう」と言われて、店をでてきた。
本当は盗んだものを別の日に買いに来るべきだった。正直に謝る勇気はぼくの中にはなかった。あったのは後悔だけだった。その後悔が次の日からぼくに行動を起こさせた。
他の駄菓子屋に行くことはなくなった。また万引きをしようとしたのではない。買ったものの値段より多くのお金を置いて行くようにした。少なめに店の物を手にして、それより多めのお金を置いて店をでた。
買っているときに電話がかかってくると、いちばんやりやすかった。多めのお金をおいて「ここにお金、置いておくからね」と言ってさっさとでてくればいいのだから。
結局、ぼくはその小学校を卒業して、別の町の中学に転校するまで続いた。もうその駄菓子屋に行くことはなくなった。そして余分にお金を払っても、謝ることができなかったので今でも悔やんでいる。
ある日こんな事があった。欲しいものを買って、呼び止められることがあった。「これオマケ」と言って、余計にもらうことがあった。「そんなのはぼくの計画にないいんだ」と叫びたいくらいだった。あとから考えればその時が謝るチャンスだったのかもしれない。
愚かなあのときのぼくには、そのチャンスは見えなかった。ひょっとするとおばあさんは、ぼくの計画を知っていたのかもしれない。それを確かめることも謝ることもできないで、大人になってしまった。
謝らない「いじめっ子」
小学校6年のときだ。先生にも食って掛かるようなガキ大将のいじめっ子が、クラスにいた。女男区別なく容赦ない。彼の親は何度も学校に呼ばれたり、家庭訪問を受けたりしていたみたいだった。
教科書に落書きされたり、ノートを破かれたりとクラスで日常茶飯事。机はナイフで彫られ、窓ガラスは割られとなにか騒ぎがあると彼が関わっていた。もう誰も彼に関わりたくないと思っていた。
ある日、彼がぼくの方に近づいてきた。今日のターゲットはぼくだなと悟った。とっさにぼくはその時、机にうつ伏せて泣いた。泣き真似のつもりが本当に涙がでてきた。すると彼は「まだ何もしてないのに?」と言って、ぼくから離れていった。
ぼくだって何もしていないのに、彼は戦意消失してしまったらしい。裏を返せばぼくの涙が、彼の暴力を撃退してしまった。まるで逃げるが勝ちを実践してしまった。だけど情けない自分を見て、心が泣いた。
その時、クラスのみんなが彼を冷ややかに見ていたような気がする。程なく卒業の季節がやってきた。ぼくは転校するので、中学行っても彼と顔を合わすっことがない。でも地元の中学に上がるみんなは、また彼と3年間付き合わないといけない。
ぼくは転校で引っ越すことになった。その前の日に彼に呼び出された。引っ越し祝いにパンチを一発見舞われるかもしれない。断わったら半殺しになりそうだったので、仕方なく呼び出しに応じた。
「これもらってくれ」と鳩のつがいをもらった。ほとんど彼とは話したことはなかったけど、家で飼ってはいけなくなったらしい。鳩と言えば平和の象徴。彼の言動とはかけ離れていた。なぜぼくにくれようとしたのかわからない。
大事にしていた鳩を、大切に育ててくれそうに思ったのかもしれない。ぼくは鳩をもらった。涙で負かしたことは話さなかった。許してもらおうとも思わなかった。第一負かされたとは彼の眼中にはなかったのだろう。
さて、引越し先で鳩が飼えるような巣箱を、父に手伝ってもらって作った。飼っていてわかったことだが、鳩というのは喧嘩好きだった。自分の居場所を取られると、相手を激しく攻撃する。血豆を鼻先に作ったり、頭の羽もむしり取ったりもする。
鳩と平和を結びつけるものは、どこにも見つけることができない。よく動物は飼い主に似るというが、もらった鳩の粗暴さは彼に似たのかもしれない。今まで外に放しても戻ってきて慣れてはいたが、もう巣箱も壊して自由にしてやった。鳩の粗暴が彼にうつったとは思いたくなかったから。
飼い主に似てしまった犬を、TVで見たことがある。飼っていた犬を虐待するので、保護されたときは、怯え人に攻撃になっていた。もらった鳩もそうだったのだろうか? それならちょっと悲しい。自由にしたことは正解だったのかもしれない。
自由になったのに戻ってくるので、可愛そうだと思いしばらく餌をやっていたが、それもしなくなり、ほんとうに自由の鳩になった。もしかすると伝書鳩なので彼のもとに帰ったかもしれない。もしそうなら足の管に「ゴメン」とメッセージを入れておけばよかった。
謝らない「息子」
中学になった。今度こそぼくは強くなって、いじめっ子に目をつけられないようにと、柔道部に入ろうと思った。でもその中学には柔道部はなくて、町の柔道クラブに入った。家の柱にロープを付けて、家を背負投でもする勢いで、相手の懐に入る練習をした。
確かに練習の甲斐あって、すばやく先輩の懐に潜り込めた。ただそれだけで、投げ飛ばすところまではいかなかった。クラブでまだまだ弱いぼくですが、ぼくにちょっかいを出すようないじめ子には出会わなかった。なんとなく柔道しているオーラがでていたのかもしれない。
そんなぼくにちょっかいをだす者が現れた。ぼくの父だ。「どれくらい強くなったか、いっちょやるか?」というので、草っぱらで勝負した。組んだときぼくが勝つような気がした。でも背負投をしたら受け身が取れずに大怪我をするかもしれないと思った。
そこでいつも先輩にやられている体落としをタイミング良くかけてみた。難なく決まってしまった。父はぼくが強くなったことに満足気でした。ぼくもいつもかけられる体落としを、人にかけることができて嬉しかった。
それから二、三日してのこと、父が手首に包帯を巻いていた。どうも仕事で怪我をしたらしい。怪我をする前に柔道の対戦ができてよかったと思った。でもそれは大きな勘違いをしていた。
何日かして母が言った。「あの手首の怪我は、お前と柔道の対決をしたときにできたの。言わないでくれと言われたけど」と。あのときの体落としが、うまく受け身できずに手首をついて骨折したみたいだ。
謝ろうとしたけど、それでは母と父の約束を、母が破ったことになる。全部明らかになったら、父の「言わないでくれ」の思いが報われない。謝ろうかどうしようか迷っているうちに、手首の怪我も治ってもとの父に戻っていた。
蒸し返しては父も立つ瀬がない。母の裏切りもばれる。とうとう謝るタイミングを逃して、何年も経ってしまった。そんな日が来るのかどうかもわからず、父は働きすぎで今に言う過労死でなくなってしまった。
そんな父の背中を見て育ったぼくも子どもを授かり、どんな背中を見せることができるだろうと、ふと思うことがある。昔と今が違うことに戸惑いながらも、子どもの明日を見つめている。
参考(謝らない):「万引き犯」 「いじめっ子」 「息子」
口演童話
謝らない「万引き犯」
小学校5年のときだ。近所に駄菓子屋が何軒かあった。その一軒に行った。欲しいものを選んでいたら、その時奥から電話のベルが鳴った。店の主人はおばあさんで耳が遠いのか、電話の音に気がつかないようだった。それで「電話がなっているよ」というと、おばあさんは音に気づいて奥に入っていった。
ぼくはその間に欲しいものを選んで、おばあさんが戻ってくるのを待っていた。ところがなかなか戻ってこない。それで店の他のものに目が移り、それを買うお金は持っていなかったのに、それをポケットに入れてしまった。
おばあさんが戻ってきて、はじめに選んだ菓子のお金を払った。自分の欲を満たすために、つい万引きをしてしまった。万引きをしたのにおばあさんからは「ありがとう」と言われて、店をでてきた。
本当は盗んだものを別の日に買いに来るべきだった。正直に謝る勇気はぼくの中にはなかった。あったのは後悔だけだった。その後悔が次の日からぼくに行動を起こさせた。
他の駄菓子屋に行くことはなくなった。また万引きをしようとしたのではない。買ったものの値段より多くのお金を置いて行くようにした。少なめに店の物を手にして、それより多めのお金を置いて店をでた。
買っているときに電話がかかってくると、いちばんやりやすかった。多めのお金をおいて「ここにお金、置いておくからね」と言ってさっさとでてくればいいのだから。
結局、ぼくはその小学校を卒業して、別の町の中学に転校するまで続いた。もうその駄菓子屋に行くことはなくなった。そして余分にお金を払っても、謝ることができなかったので今でも悔やんでいる。
ある日こんな事があった。欲しいものを買って、呼び止められることがあった。「これオマケ」と言って、余計にもらうことがあった。「そんなのはぼくの計画にないいんだ」と叫びたいくらいだった。あとから考えればその時が謝るチャンスだったのかもしれない。
愚かなあのときのぼくには、そのチャンスは見えなかった。ひょっとするとおばあさんは、ぼくの計画を知っていたのかもしれない。それを確かめることも謝ることもできないで、大人になってしまった。
謝らない「いじめっ子」
小学校6年のときだ。先生にも食って掛かるようなガキ大将のいじめっ子が、クラスにいた。女男区別なく容赦ない。彼の親は何度も学校に呼ばれたり、家庭訪問を受けたりしていたみたいだった。
教科書に落書きされたり、ノートを破かれたりとクラスで日常茶飯事。机はナイフで彫られ、窓ガラスは割られとなにか騒ぎがあると彼が関わっていた。もう誰も彼に関わりたくないと思っていた。
ある日、彼がぼくの方に近づいてきた。今日のターゲットはぼくだなと悟った。とっさにぼくはその時、机にうつ伏せて泣いた。泣き真似のつもりが本当に涙がでてきた。すると彼は「まだ何もしてないのに?」と言って、ぼくから離れていった。
ぼくだって何もしていないのに、彼は戦意消失してしまったらしい。裏を返せばぼくの涙が、彼の暴力を撃退してしまった。まるで逃げるが勝ちを実践してしまった。だけど情けない自分を見て、心が泣いた。
その時、クラスのみんなが彼を冷ややかに見ていたような気がする。程なく卒業の季節がやってきた。ぼくは転校するので、中学行っても彼と顔を合わすっことがない。でも地元の中学に上がるみんなは、また彼と3年間付き合わないといけない。
ぼくは転校で引っ越すことになった。その前の日に彼に呼び出された。引っ越し祝いにパンチを一発見舞われるかもしれない。断わったら半殺しになりそうだったので、仕方なく呼び出しに応じた。
「これもらってくれ」と鳩のつがいをもらった。ほとんど彼とは話したことはなかったけど、家で飼ってはいけなくなったらしい。鳩と言えば平和の象徴。彼の言動とはかけ離れていた。なぜぼくにくれようとしたのかわからない。
大事にしていた鳩を、大切に育ててくれそうに思ったのかもしれない。ぼくは鳩をもらった。涙で負かしたことは話さなかった。許してもらおうとも思わなかった。第一負かされたとは彼の眼中にはなかったのだろう。
さて、引越し先で鳩が飼えるような巣箱を、父に手伝ってもらって作った。飼っていてわかったことだが、鳩というのは喧嘩好きだった。自分の居場所を取られると、相手を激しく攻撃する。血豆を鼻先に作ったり、頭の羽もむしり取ったりもする。
鳩と平和を結びつけるものは、どこにも見つけることができない。よく動物は飼い主に似るというが、もらった鳩の粗暴さは彼に似たのかもしれない。今まで外に放しても戻ってきて慣れてはいたが、もう巣箱も壊して自由にしてやった。鳩の粗暴が彼にうつったとは思いたくなかったから。
飼い主に似てしまった犬を、TVで見たことがある。飼っていた犬を虐待するので、保護されたときは、怯え人に攻撃になっていた。もらった鳩もそうだったのだろうか? それならちょっと悲しい。自由にしたことは正解だったのかもしれない。
自由になったのに戻ってくるので、可愛そうだと思いしばらく餌をやっていたが、それもしなくなり、ほんとうに自由の鳩になった。もしかすると伝書鳩なので彼のもとに帰ったかもしれない。もしそうなら足の管に「ゴメン」とメッセージを入れておけばよかった。
謝らない「息子」
中学になった。今度こそぼくは強くなって、いじめっ子に目をつけられないようにと、柔道部に入ろうと思った。でもその中学には柔道部はなくて、町の柔道クラブに入った。家の柱にロープを付けて、家を背負投でもする勢いで、相手の懐に入る練習をした。
確かに練習の甲斐あって、すばやく先輩の懐に潜り込めた。ただそれだけで、投げ飛ばすところまではいかなかった。クラブでまだまだ弱いぼくですが、ぼくにちょっかいを出すようないじめ子には出会わなかった。なんとなく柔道しているオーラがでていたのかもしれない。
そんなぼくにちょっかいをだす者が現れた。ぼくの父だ。「どれくらい強くなったか、いっちょやるか?」というので、草っぱらで勝負した。組んだときぼくが勝つような気がした。でも背負投をしたら受け身が取れずに大怪我をするかもしれないと思った。
そこでいつも先輩にやられている体落としをタイミング良くかけてみた。難なく決まってしまった。父はぼくが強くなったことに満足気でした。ぼくもいつもかけられる体落としを、人にかけることができて嬉しかった。
それから二、三日してのこと、父が手首に包帯を巻いていた。どうも仕事で怪我をしたらしい。怪我をする前に柔道の対戦ができてよかったと思った。でもそれは大きな勘違いをしていた。
何日かして母が言った。「あの手首の怪我は、お前と柔道の対決をしたときにできたの。言わないでくれと言われたけど」と。あのときの体落としが、うまく受け身できずに手首をついて骨折したみたいだ。
謝ろうとしたけど、それでは母と父の約束を、母が破ったことになる。全部明らかになったら、父の「言わないでくれ」の思いが報われない。謝ろうかどうしようか迷っているうちに、手首の怪我も治ってもとの父に戻っていた。
蒸し返しては父も立つ瀬がない。母の裏切りもばれる。とうとう謝るタイミングを逃して、何年も経ってしまった。そんな日が来るのかどうかもわからず、父は働きすぎで今に言う過労死でなくなってしまった。
そんな父の背中を見て育ったぼくも子どもを授かり、どんな背中を見せることができるだろうと、ふと思うことがある。昔と今が違うことに戸惑いながらも、子どもの明日を見つめている。
参考(謝らない):「万引き犯」 「いじめっ子」 「息子」
口演童話