演童話「ノミの夫婦」
「ノミの夫婦」というのは、お母さんの体が大きくて、お父さんの方が小さい夫婦のことをいいます。本当のノミも、メスが大きくて、オスが小さいのです。
さて、ここに本当のノミの夫婦がいます。二人には、年頃の娘がいました。
「そろそろ、娘にも立派な婿がほしいものですね」
と、太っちょノミのお母さんが言いました。
「娘の婿は、世の中でいちばん強くて立派でなくてはならん」
と、やせっぽノミのお父さんが言いました。
世の中でいちばん強くて立派なものというのは、いったい誰でしょう?
ノミのすぐれたところは、かむ力がすごく強いということです。ノミの夫婦は、自分たちよりもかむ力が強いものを探すことにしました。
最初にやってきたのは、ネズミのところです。
「私たちは、娘の婿を探しています。嫁がせるなら、ノミの歯よりも強い歯を持ったもののところへと決めてやってまいりました。ネズミさんは、とても強い歯をお持ちです。その鋭い歯は、何でもかみくだき、誰もかなうものではありません。どうぞ、娘の婿になってくださいませ」
ノミの夫婦は、そう言うと深ぶかとネズミに頭を下げました。
「いやいや、そう頭を下げられても、だいじな娘さんを嫁にもらうわけにはいきません。というのも、立派な歯を持っていても、かなわないものがあるのです。それは強い爪です。ぼくの嫁になるより、強い爪を持ったネコさんがいい」
ノミの夫婦は、今度はネコのところにやってきました。
「私たちは、娘の婿を探しています。嫁がせるなら、強い爪を持ったもののところへと決めてやってまいりました。ネコさんは、とても強い爪お持ちです。その鋭い爪は、ネズミも震え上がるほどで、何でもがっちりつかみ取れます。どうぞ、娘の幸せをもつかみ取ってやってください」
ノミの夫婦は、そう言うと深ぶかとネコに頭を下げました。
「いやいや、そう言われても、娘さんを幸せにできるかどうかはわかりません。というのも、立派な爪を持っていても、かなわないものがあるのです。それは力強い声です。おいらの嫁になるより、力強い声を持ったイヌさんがいい」
ノミの夫婦は、今度はイヌのところにやってきました。
「私たちは、娘の婿を探しています。嫁がせるなら、力強い声を持ったもののところへと決めてやってまいりました。イヌさんは、とても力強い声をお持ちです。その張りのある声は、ネコをも縮み上がらせるほどです。それに、言葉の一つ一つが自信に満ちています。どうぞ、娘の人生を喜びで満たしてやってください」
「よし、わかった。娘をおれの嫁にしよう。しかし、ちょっと待ってくれ。さっきからどうも体の具合が悪くて、あちこちかゆくてたまらんのじゃ」
イヌは、足で脇腹をかいたり、首筋を地面にこすりつけたり、頭を振るやら腰をくねらすやら、もう七転八倒、ノミの夫婦にもかまっていられなくなりました。とうとうイヌは、見えない何かにしっぽを巻いて退散してしまいました。
遠くで「うおおーんっ」と、さみしそうなイヌの遠吠えがしました。ノミの夫婦も娘の婿が見つからないで、イヌのように遠吠えしたくなりました。
そのとき、
「こんにちは」
と、誰かの声がしました。
イヌのような力強い声ではありませんでしたが、誠実そうに聞こえました。それは、さっきまでイヌの体中をかみまわっていたオスの若いノミでした。イヌが退散するときに、大きく飛んで地面に降り立っていたのでした。
その小さな小さな体でいちばん強いイヌを追い散らしたのですから、ノミの夫婦は、この若者こそが娘の婿にふさわしいと思いました。
さっそく、娘と若者をあわせて、二人にどうかとたずねました。二人ともお互い気にいったようで、めでたく婚約の運びとなりました。
それを見ていた除虫菊の花が、風に揺れながらこう言いました。
「世の中には、まだまだかなわんものがおるやもしれん。しかし、いちばん強いものは二人を結ぶ愛というもの」
小さなその声が、若い二人に届いたのかどうかは知りません。
おしまい。
これはのみのぴこ
(著者について) 谷川 俊太郎:
1931年東京生まれ。18歳頃から試作を始め、1952年「二十億光年の孤独」を刊行。「櫂」同人。詩、翻訳、創作わらべうたなど幅広く活躍している。1983年「日々の地図」で読売文学賞を受賞。またレコード大賞作詞賞、サンケイ児童出版文化賞、日本翻訳文化賞なども受賞。子どものための詩や童話も多い。
和田 誠:
1936年生まれ。イラストレーター、グラフィックデザイナー。著書は『ねこのシジミ』『パイがいっぱい』ほか多数。2006年、絵本『どんなかんじかなあ』(中山千夏・文)で第11回日本絵本賞を受賞。文春漫画賞、講談社出版文化賞さしえ賞、毎日デザイン賞、菊池寛賞ほか多数受賞。1977年より「週刊文春」の表紙を担当。
参考:口演童話「ノミの夫婦」
口演童話
「ノミの夫婦」というのは、お母さんの体が大きくて、お父さんの方が小さい夫婦のことをいいます。本当のノミも、メスが大きくて、オスが小さいのです。
さて、ここに本当のノミの夫婦がいます。二人には、年頃の娘がいました。
「そろそろ、娘にも立派な婿がほしいものですね」
と、太っちょノミのお母さんが言いました。
「娘の婿は、世の中でいちばん強くて立派でなくてはならん」
と、やせっぽノミのお父さんが言いました。
世の中でいちばん強くて立派なものというのは、いったい誰でしょう?
ノミのすぐれたところは、かむ力がすごく強いということです。ノミの夫婦は、自分たちよりもかむ力が強いものを探すことにしました。
最初にやってきたのは、ネズミのところです。
「私たちは、娘の婿を探しています。嫁がせるなら、ノミの歯よりも強い歯を持ったもののところへと決めてやってまいりました。ネズミさんは、とても強い歯をお持ちです。その鋭い歯は、何でもかみくだき、誰もかなうものではありません。どうぞ、娘の婿になってくださいませ」
ノミの夫婦は、そう言うと深ぶかとネズミに頭を下げました。
「いやいや、そう頭を下げられても、だいじな娘さんを嫁にもらうわけにはいきません。というのも、立派な歯を持っていても、かなわないものがあるのです。それは強い爪です。ぼくの嫁になるより、強い爪を持ったネコさんがいい」
ノミの夫婦は、今度はネコのところにやってきました。
「私たちは、娘の婿を探しています。嫁がせるなら、強い爪を持ったもののところへと決めてやってまいりました。ネコさんは、とても強い爪お持ちです。その鋭い爪は、ネズミも震え上がるほどで、何でもがっちりつかみ取れます。どうぞ、娘の幸せをもつかみ取ってやってください」
ノミの夫婦は、そう言うと深ぶかとネコに頭を下げました。
「いやいや、そう言われても、娘さんを幸せにできるかどうかはわかりません。というのも、立派な爪を持っていても、かなわないものがあるのです。それは力強い声です。おいらの嫁になるより、力強い声を持ったイヌさんがいい」
ノミの夫婦は、今度はイヌのところにやってきました。
「私たちは、娘の婿を探しています。嫁がせるなら、力強い声を持ったもののところへと決めてやってまいりました。イヌさんは、とても力強い声をお持ちです。その張りのある声は、ネコをも縮み上がらせるほどです。それに、言葉の一つ一つが自信に満ちています。どうぞ、娘の人生を喜びで満たしてやってください」
「よし、わかった。娘をおれの嫁にしよう。しかし、ちょっと待ってくれ。さっきからどうも体の具合が悪くて、あちこちかゆくてたまらんのじゃ」
イヌは、足で脇腹をかいたり、首筋を地面にこすりつけたり、頭を振るやら腰をくねらすやら、もう七転八倒、ノミの夫婦にもかまっていられなくなりました。とうとうイヌは、見えない何かにしっぽを巻いて退散してしまいました。
遠くで「うおおーんっ」と、さみしそうなイヌの遠吠えがしました。ノミの夫婦も娘の婿が見つからないで、イヌのように遠吠えしたくなりました。
そのとき、
「こんにちは」
と、誰かの声がしました。
イヌのような力強い声ではありませんでしたが、誠実そうに聞こえました。それは、さっきまでイヌの体中をかみまわっていたオスの若いノミでした。イヌが退散するときに、大きく飛んで地面に降り立っていたのでした。
その小さな小さな体でいちばん強いイヌを追い散らしたのですから、ノミの夫婦は、この若者こそが娘の婿にふさわしいと思いました。
さっそく、娘と若者をあわせて、二人にどうかとたずねました。二人ともお互い気にいったようで、めでたく婚約の運びとなりました。
それを見ていた除虫菊の花が、風に揺れながらこう言いました。
「世の中には、まだまだかなわんものがおるやもしれん。しかし、いちばん強いものは二人を結ぶ愛というもの」
小さなその声が、若い二人に届いたのかどうかは知りません。
おしまい。
これはのみのぴこ
(著者について) 谷川 俊太郎:
1931年東京生まれ。18歳頃から試作を始め、1952年「二十億光年の孤独」を刊行。「櫂」同人。詩、翻訳、創作わらべうたなど幅広く活躍している。1983年「日々の地図」で読売文学賞を受賞。またレコード大賞作詞賞、サンケイ児童出版文化賞、日本翻訳文化賞なども受賞。子どものための詩や童話も多い。
和田 誠:
1936年生まれ。イラストレーター、グラフィックデザイナー。著書は『ねこのシジミ』『パイがいっぱい』ほか多数。2006年、絵本『どんなかんじかなあ』(中山千夏・文)で第11回日本絵本賞を受賞。文春漫画賞、講談社出版文化賞さしえ賞、毎日デザイン賞、菊池寛賞ほか多数受賞。1977年より「週刊文春」の表紙を担当。
参考:口演童話「ノミの夫婦」
口演童話