口演童話「ヤッチはヤンダ」
ママの指差す方には、大きな白い建物がありました。
「あれは何?」
「ネコカ病院よ」
「でも、私、猫じゃないよ」
「ヤンダ病院は、どこにもないのよ。私たちヤンダは、どこの病院でもいいってことなの」
宇宙には数え切れない星があり、その星は、いくつかの惑星を抱えています。ヤッチが住んでいるヤンダ惑星も、数え切れない星の一つに抱えられていました。
ヤンダ惑星では、たくさんの動物が一緒に住んでいました。ヤンダもその動物の一種です。一見するとパンダに似ています。違うのは、パンダほどずんぐり体が丸くないことです。毛並みやその柄は一緒なのですが、背は成人になると約2メートルで、すらっとしていて、二足歩行します。さらに、パンダは、アライグマ科ですが、ヤンダはそれでもありませんでした。ヤンダは、ヤンダ科でした。
ヤンダは、5歳になると成人します。平均寿命は20年です。ヤッチは、6歳になります。もう成人ですが、背は2メートルありませんでした。半分の1メートルでした。体が曲がっていたからです。そのせいでヤッチは、今日この病院に来たのでした。こどもの頃パンダに間違われて、よく冷やかされたものでした。
ネコカ病院だけあって、ネコ科の患者で待合室はいっぱいでした。目に眼帯をしたヒョウ、足に血がにじんでいるライオン、頭を抱えているヤマネコ、マスクをしているチーターなどなど。ヤンダは、ママと私の二人だけでした。みんな、いぶかしそうにこちらをちらちらと見てきます。まあ、そんな目には慣れてはいるものの、その場から離れられないのが、ちょっとつらい。席を離れている間に、名前を呼ばれて、いなかったら順番を飛ばされるからです。
「23番、ヤンダのヤッチ様。Rのお部屋にお入り下さい」
「はーい」
「心配しなくて大丈夫よ。ママは、ここで待っているから。すぐ終わるらしいから」
私が、Rの部屋のドアを開けよとすると、自然にドアが開きました。
「ヤッチさんですね。どうぞ中にお入り下さい。すぐ終わりますよ」
トラネコのR先生が、私を招き入れました。
「さあ、そのベッドに寝てください。仰向けはしんどいでしょうから、横を向いてもいいですよ」
私は、そっとベッドに横になりました。しばらくすると、天上から機械が下りてきて、
「3秒間だけ、息を止めていてください。いいですか。1、2、3。はい、終わりました」
ほんとにすぐ終わりました。
ベッドを降りると、奇跡が起きて、背が伸びるのかと思いましたが、前とちっとも変わってはいませんでした。
「はい、お疲れ様でした」
R先生が、ドアを開けてくれました。
「ママ、どうしたの?」
ママは、涙をいっぱいためて、
「ごめんね、ヤッチ。ごめんね、ヤッチ。・・」
あとは、言葉になっていませんでした。
「いいのよ、ママ。背が伸びなくたって、ママは、ヤッチのママ。優しくて、大切なママよ。こうなったのは、ママのせいじゃないんだから」
からかわれたとき、慰めてくれたり励ましてくれたりしたママに、逆に今慰め励ましている自分が、何とも不思議でした。
「おまえは、体は曲がっているけど、心は素直でまっすぐだから。自分の信じた道を行きなさい」
ママは、涙を拭かず、私をしっかり見てそう言いました。
それから、2年が過ぎ、ママは、交通事故で亡くなりました。今思うと、病院での一言が、私への遺言だったような気がします。私は独りになりました。パパは、どこかにいるらしいけど、ママからはその話は一度も聞かされませんでした。別にパパを探そうとは思いません。この世にいるかどうかもわからないパパを。
私は、あまり学校には行きませんでした。ときどき行きましたが、たいてい校長室に入りびたりでした。何するでなく校長室のソファーでくつろいでいました。ときどき熊の校長先生が、勉強を見てくれました。それでも、たいていくつろいでいるほうが多かったです。たまに頭が痛くなって、保健室で寝ていることぐらいです。ある時、保健室で寝ていて思いついたことがありました。校長室が殺風景だったので、何か飾りたいと思いました。ジグソーパズルを作って、それを飾ろうかと思いました。時間つぶしにもなるし、何もかも忘れて集中できそうな気もしました。
ある日、ヤンダ惑星が宇宙空間に浮かんでいる絵のパズルを持って行きました。
「ほう、何が出来るんだい?」
「それは、完成してからのお楽しみ」
校長先生は、狐先生が熱を出してコンコン咳が止まらないというので、そのピンチヒッターに部屋を出て行きました。私は、パズルに向かいました。小さいときになくした記憶をつなぎ合わせるように、ひとつひとつ埋めていきました。校長室の飾りというよりも、私のためといったほうがよかったかも知れません。
校長先生が、授業を終えて戻ってきました。
「何と、もうできたのかい」
「ここの壁でいい?」
校長先生は、満足気にうなずき、絵を壁に掛けてくれました。
「ところで、校長先生。どうしてこの惑星を『ヤンダ惑星』て言うの?」
そのことは、ほかの生徒は知っていたかもしれません。私は、あまり教室に行かず授業を受けてないので、ひょっとすると歴史の授業であったかもしれません。なぜ教室に行かなかったかというと、教室の前までは行くのですが、中に入れなかったのです。中にいる友達とかが嫌いだったわけじゃありません。だって、学校が終わったら、一緒に遊んでいたんですから。教室の空気が嫌いだったのです。空気なんて、どこでも一緒だと思うかもしれませんが、教室の空気は違っていました。それに教室独特のにおいも、嫌いな気持ちに拍車をかけていました。無理して教室にいたこともありました。その時、急に視界が狭くなって、黒板の字が全く見えなくなったこともありました。だから、今はもう無理をしないことにしています。
校長先生にも、ヤンダ惑星の起源はわからないようです。
「あまりにも遠い昔のことで、ヤンダ惑星の始まりは、まだ解明されていないんだ。その頃の記録も残っていないし。唯一手がかりになるとしたら、図書館にあるいくつかの本だ。でも、それもホントの話じゃなくて、おとぎ話として残っているものだけ。おとぎ話だから、それに近い話はあったかもしれないし、なかったかもしれない。仮にあったとしても、あとから誰かが話を膨らませて、ファンタジーにしているだけだから、どの部分がホントにあった話しかはわからない。でもまあ、一度図書館行ってみなさい。学校の図書館は本が少ないので、町の図書館に行くといい」
私は、学校の帰りに、町の図書館に寄ることにしました。
赤い丸い屋根の建物が図書館です。中に入ると、カウンターにメガネをかけたふくろうのおじさんがいました。むつかしい顔をして、厚い何かの本をのぞき込んでいました。
「あの、すみません」
「あ、いらっしゃい。何だね」
「ヤンダ惑星の歴史を知りたいんですが」
「それなら奥の本棚に、歴史コーナーがあるから、そこから本を選んで持ってきなさい。貸し出しの手続いをしてあげるよ。すぐに済むんなら、そこのテーブルのところで閲覧していきなさい」
「ありがとうございます」
「あ、ちょっと待ちなさい。歴史コーナーの棚は、高いところにあるから、あんたじゃ届かんかもしれん。わしが取ってきてあげよ。ここで待っていなさい」
ふくろうのおじさんは、開いていた本にしおりを挟むと、本を閉じて、バサラバサラと歴史コーナーの棚に飛んでいきました。そして、数冊の本を抱えて、またバサラバサラと戻ってきました。
「探している本は、この中にないか? 政治、経済、産業、教育、・・。それぞれの本に、それぞれの歴史が書いてある。ヤンダ惑星の歴史にも触れられている」
「この中で、いちばん古い歴史のことが載っているのは、どれですか?」
「そうじゃなあ。『政治の歴史』、この本かなあ。ヤンダ惑星、最初の大統領のことが書かれている。ヤンダ惑星の最初の大統領は、人間でな。そこから始まって今日までのことが、詳しく書かれている。勉強になるぞ」
「最初の大統領が誕生する前のことも書かれているの?」
「大統領が誕生したところからが、歴史の始まり。その前というのは、おとぎ話。おとぎ話の方がよかったのかい? それなら童話コーナーに行けばいい。童話コーナーの棚は低いから、あんたでも大丈夫だろう。ほらそこの棚がそうじゃ」
「せっかく高い棚から持って来てもらったのに。すみません」
「いいんじゃ、いいんじゃ。これがわしの仕事だから」
私は、童話コーナーに向かいました。「ヤンダ惑星の歴史、ヤンダ惑星の歴史、・・」と口の奥で何度も繰り返しながら探しました。すると、『ヤンダわくせいのはじまり』が目に飛び込んできました。でも、その本があるのは、棚の一番上のところでした。背伸びをしましたが、丸く曲がった体をそれ以上伸ばすことはできませんでした。ふくろうのおじさんに頼むのも、何だか気が引けました。その時でした。私の頭越しに手が伸びて、『ヤンダわくせいのはじまり』を棚から引き出したのは。
「この本が、いるんだね?」
「はい」
優しいその声の響きは、私を夢中にするには十分過ぎるくらいよく響きました。もちろん私より背が高く、身体もがっしりしていました。頼もしいヤンダの若者でした。ちょっと図書館にいるって感じではありませんが。
「困ったことがあったら、お互いさまだから。あっ、俺、ヒロ。宇宙船の整備士の勉強しているんだ。もう試験でねえ」
「ありがとう。私、ヤッチ。ヒロさんは、普段宇宙船いじっているんだ。通りで、本を読むって感じしなかったんだ。あ、ごめんなさい」
「いいんだよ。その通りなんだから。あわてて勉強しているだけなんだ。それに、ヒロでいいよ。みんなそう呼んでいるから」
今まで一度も男の人を好きになったことはありませんでした。と言えば嘘になります。好きな人がいても、好きにならないでおこうと思っている自分が、いつもそこにいるからです。こんな身体をしているので、どうせすぐ嫌われるだろうし、だいいち好きになってくれる人もいないだろうし。要するに私、劣等感の塊なんです。いろんな面において。何をやっても自信が持てない。でも、ひょっとすると明日から、私は変わっているかも。そんな予感がした出会いでした。
「じゃあ、また」
「試験受かったら教えてね」
「ああ」
ヒロは、試験対策の本を抱えて、そのまま出て行きました。私には、全く興味がないようです。きっと、試験のことで頭がいっぱいなんでしょう。連絡先も何も知らないし、試験合格しても、教えようがないんだから。でも、もし奇跡があるなら、もう一度会ってみたい。
ヤンダ惑星の歴史を調べるどころではありませんでした。私は、もうヒロのことで、頭の中がいっぱいになっていました。どこに住んでいるのかわからない。試験がいつ終わるのかさえ。もし、会えるとしたら、図書館しかない。借りた本をきっと戻しに来るから。次の日から私は、図書館に通いつめることになりました。
それから、数日が過ぎました。
「熱心だねえ。毎日毎日」
ふくろうのおじさんは、上目使いで私のほうを見ました。
「あの、私この前来たとき、ヒロさんって人いましたが、あれから彼はここに来ていますか?」
「ヒロさん、・・・。ああ、あのときの。あなたと一緒のヤンダの若者だね。まだ、あれから来ていないよ。ほんの貸し出し期限が2週間だから、もうそろそろ来るんじゃないかな」
その時、ヒロが入ってきました。
「あっ、ヒロさん。この方、あなたに何か用があるみたいですよ」
「やあ、こんにちは。えーと、確か・・」
「ヤッチ」
「そうそう、ヤッチだったね。また会ったねえ。用って何?」
「いえ、ちょっと試験の結果が気になったもので、どうしてるのかなって、・・」
「試験は、昨日受けたけど、まだ結果がわからないんだ。来週発表があってね」
「そう」
「これも何かの縁だから、ちょっとお茶でも一緒に飲まない? 試験終わって、暇だから」
「私、暇つぶし?」
「そういうわけじゃないよ。あの時全然話できなかったので、よかったらどう?」
「いいけど、宇宙船のこと、いろいろ教えてくれる?」
「そんなこと、お安い御用だよ」
あの時から、私は今日の来る日をずっと待っていました。
「ところで、あれからヤンダ惑星の起源わかったかい?」
「わかるにはわかったけど、あれからわからないことができて、ずっと図書館に来ていたの」
「好奇心が生まれるということはいいことだよ。それで何に興味が出てきたんだい?」
本当のことなんて、本人を目の前に言える訳ありません。言ったら最後、こんなふうに二人で会うこともできなくなってしまうかもしれない。
「今はまだヒミツ」
「まあいいや。そのうちいつか教えてくれよ。気になるから」
「はい」
これでよかったんだ。また会う約束できそうだ。なんてお互い思っていた。
その日はとりとめない話をして、連絡先を交換して二人は別れた。
ヒロの試験の合否発表がやってきました。自分のことのように朝からヤッチはそわそわしていました。そこへヒロから連絡が入りました。結果はあってから話すとのこと。図書館で会うことを約束して電話を切りました。ヒロに早く会いたいのに、合否も気になるのに、ゆっくり図書館に行きました。
ヒロは一人寂しく待っていました。なんとなく予想が付きました。こんな時になんて慰めればいいのか迷っていると、
「遅いじゃないか! どんな思いで待っていたと思うんだ!」
ヒロは怒っていて、「ごめんなさい」というしかありませんでした。
「あのう、それで試験の結果はどうだったの?」
「顔を見ればわかるだろう」
さっきから怒った顔しかしてないので、全く読み取れませんでした。
「また、来年頑張ればいいんじゃない」
少しでも怒りが収まればと思って、こんなことしか言えませんでした。
「何、もう一度試験受けろっていうのか? 合格したのに」
「じゃあ、何で会ったときからそんなに怒っていたの」
「ヤッチが遅いからだよ。待ちくたびれて、先にふくろうのおじさんに話してしまったよ」
ふくろうのおじさんは、こちらを見て軽く手を振りました。
「もう金輪際、『待たせる』はなしだよ」
「はい」
「ぼくと付き合ってほしい」
「・・はい」
「今度はよくできました。調子いいんだから」
ヒロは、私にとってもったいないくらいの彼でした。私の体のことは個性ぐらいにしか思っていなくて、短い人生ですが、長くやっていけそうな気がしました。いじけていたときのことを思えば、最高の幸運に出会いました。
もしも神様がいるなら信じたい気分です。いつしか調子の良い自分がいることに気が付きました。
「調子が良さそうだね」
「はい。おかげさまで」
参考:お話「ヤッチはヤンダ」
口演童話
ママの指差す方には、大きな白い建物がありました。
「あれは何?」
「ネコカ病院よ」
「でも、私、猫じゃないよ」
「ヤンダ病院は、どこにもないのよ。私たちヤンダは、どこの病院でもいいってことなの」
宇宙には数え切れない星があり、その星は、いくつかの惑星を抱えています。ヤッチが住んでいるヤンダ惑星も、数え切れない星の一つに抱えられていました。
ヤンダ惑星では、たくさんの動物が一緒に住んでいました。ヤンダもその動物の一種です。一見するとパンダに似ています。違うのは、パンダほどずんぐり体が丸くないことです。毛並みやその柄は一緒なのですが、背は成人になると約2メートルで、すらっとしていて、二足歩行します。さらに、パンダは、アライグマ科ですが、ヤンダはそれでもありませんでした。ヤンダは、ヤンダ科でした。
ヤンダは、5歳になると成人します。平均寿命は20年です。ヤッチは、6歳になります。もう成人ですが、背は2メートルありませんでした。半分の1メートルでした。体が曲がっていたからです。そのせいでヤッチは、今日この病院に来たのでした。こどもの頃パンダに間違われて、よく冷やかされたものでした。
ネコカ病院だけあって、ネコ科の患者で待合室はいっぱいでした。目に眼帯をしたヒョウ、足に血がにじんでいるライオン、頭を抱えているヤマネコ、マスクをしているチーターなどなど。ヤンダは、ママと私の二人だけでした。みんな、いぶかしそうにこちらをちらちらと見てきます。まあ、そんな目には慣れてはいるものの、その場から離れられないのが、ちょっとつらい。席を離れている間に、名前を呼ばれて、いなかったら順番を飛ばされるからです。
「23番、ヤンダのヤッチ様。Rのお部屋にお入り下さい」
「はーい」
「心配しなくて大丈夫よ。ママは、ここで待っているから。すぐ終わるらしいから」
私が、Rの部屋のドアを開けよとすると、自然にドアが開きました。
「ヤッチさんですね。どうぞ中にお入り下さい。すぐ終わりますよ」
トラネコのR先生が、私を招き入れました。
「さあ、そのベッドに寝てください。仰向けはしんどいでしょうから、横を向いてもいいですよ」
私は、そっとベッドに横になりました。しばらくすると、天上から機械が下りてきて、
「3秒間だけ、息を止めていてください。いいですか。1、2、3。はい、終わりました」
ほんとにすぐ終わりました。
ベッドを降りると、奇跡が起きて、背が伸びるのかと思いましたが、前とちっとも変わってはいませんでした。
「はい、お疲れ様でした」
R先生が、ドアを開けてくれました。
「ママ、どうしたの?」
ママは、涙をいっぱいためて、
「ごめんね、ヤッチ。ごめんね、ヤッチ。・・」
あとは、言葉になっていませんでした。
「いいのよ、ママ。背が伸びなくたって、ママは、ヤッチのママ。優しくて、大切なママよ。こうなったのは、ママのせいじゃないんだから」
からかわれたとき、慰めてくれたり励ましてくれたりしたママに、逆に今慰め励ましている自分が、何とも不思議でした。
「おまえは、体は曲がっているけど、心は素直でまっすぐだから。自分の信じた道を行きなさい」
ママは、涙を拭かず、私をしっかり見てそう言いました。
それから、2年が過ぎ、ママは、交通事故で亡くなりました。今思うと、病院での一言が、私への遺言だったような気がします。私は独りになりました。パパは、どこかにいるらしいけど、ママからはその話は一度も聞かされませんでした。別にパパを探そうとは思いません。この世にいるかどうかもわからないパパを。
私は、あまり学校には行きませんでした。ときどき行きましたが、たいてい校長室に入りびたりでした。何するでなく校長室のソファーでくつろいでいました。ときどき熊の校長先生が、勉強を見てくれました。それでも、たいていくつろいでいるほうが多かったです。たまに頭が痛くなって、保健室で寝ていることぐらいです。ある時、保健室で寝ていて思いついたことがありました。校長室が殺風景だったので、何か飾りたいと思いました。ジグソーパズルを作って、それを飾ろうかと思いました。時間つぶしにもなるし、何もかも忘れて集中できそうな気もしました。
ある日、ヤンダ惑星が宇宙空間に浮かんでいる絵のパズルを持って行きました。
「ほう、何が出来るんだい?」
「それは、完成してからのお楽しみ」
校長先生は、狐先生が熱を出してコンコン咳が止まらないというので、そのピンチヒッターに部屋を出て行きました。私は、パズルに向かいました。小さいときになくした記憶をつなぎ合わせるように、ひとつひとつ埋めていきました。校長室の飾りというよりも、私のためといったほうがよかったかも知れません。
校長先生が、授業を終えて戻ってきました。
「何と、もうできたのかい」
「ここの壁でいい?」
校長先生は、満足気にうなずき、絵を壁に掛けてくれました。
「ところで、校長先生。どうしてこの惑星を『ヤンダ惑星』て言うの?」
そのことは、ほかの生徒は知っていたかもしれません。私は、あまり教室に行かず授業を受けてないので、ひょっとすると歴史の授業であったかもしれません。なぜ教室に行かなかったかというと、教室の前までは行くのですが、中に入れなかったのです。中にいる友達とかが嫌いだったわけじゃありません。だって、学校が終わったら、一緒に遊んでいたんですから。教室の空気が嫌いだったのです。空気なんて、どこでも一緒だと思うかもしれませんが、教室の空気は違っていました。それに教室独特のにおいも、嫌いな気持ちに拍車をかけていました。無理して教室にいたこともありました。その時、急に視界が狭くなって、黒板の字が全く見えなくなったこともありました。だから、今はもう無理をしないことにしています。
校長先生にも、ヤンダ惑星の起源はわからないようです。
「あまりにも遠い昔のことで、ヤンダ惑星の始まりは、まだ解明されていないんだ。その頃の記録も残っていないし。唯一手がかりになるとしたら、図書館にあるいくつかの本だ。でも、それもホントの話じゃなくて、おとぎ話として残っているものだけ。おとぎ話だから、それに近い話はあったかもしれないし、なかったかもしれない。仮にあったとしても、あとから誰かが話を膨らませて、ファンタジーにしているだけだから、どの部分がホントにあった話しかはわからない。でもまあ、一度図書館行ってみなさい。学校の図書館は本が少ないので、町の図書館に行くといい」
私は、学校の帰りに、町の図書館に寄ることにしました。
赤い丸い屋根の建物が図書館です。中に入ると、カウンターにメガネをかけたふくろうのおじさんがいました。むつかしい顔をして、厚い何かの本をのぞき込んでいました。
「あの、すみません」
「あ、いらっしゃい。何だね」
「ヤンダ惑星の歴史を知りたいんですが」
「それなら奥の本棚に、歴史コーナーがあるから、そこから本を選んで持ってきなさい。貸し出しの手続いをしてあげるよ。すぐに済むんなら、そこのテーブルのところで閲覧していきなさい」
「ありがとうございます」
「あ、ちょっと待ちなさい。歴史コーナーの棚は、高いところにあるから、あんたじゃ届かんかもしれん。わしが取ってきてあげよ。ここで待っていなさい」
ふくろうのおじさんは、開いていた本にしおりを挟むと、本を閉じて、バサラバサラと歴史コーナーの棚に飛んでいきました。そして、数冊の本を抱えて、またバサラバサラと戻ってきました。
「探している本は、この中にないか? 政治、経済、産業、教育、・・。それぞれの本に、それぞれの歴史が書いてある。ヤンダ惑星の歴史にも触れられている」
「この中で、いちばん古い歴史のことが載っているのは、どれですか?」
「そうじゃなあ。『政治の歴史』、この本かなあ。ヤンダ惑星、最初の大統領のことが書かれている。ヤンダ惑星の最初の大統領は、人間でな。そこから始まって今日までのことが、詳しく書かれている。勉強になるぞ」
「最初の大統領が誕生する前のことも書かれているの?」
「大統領が誕生したところからが、歴史の始まり。その前というのは、おとぎ話。おとぎ話の方がよかったのかい? それなら童話コーナーに行けばいい。童話コーナーの棚は低いから、あんたでも大丈夫だろう。ほらそこの棚がそうじゃ」
「せっかく高い棚から持って来てもらったのに。すみません」
「いいんじゃ、いいんじゃ。これがわしの仕事だから」
私は、童話コーナーに向かいました。「ヤンダ惑星の歴史、ヤンダ惑星の歴史、・・」と口の奥で何度も繰り返しながら探しました。すると、『ヤンダわくせいのはじまり』が目に飛び込んできました。でも、その本があるのは、棚の一番上のところでした。背伸びをしましたが、丸く曲がった体をそれ以上伸ばすことはできませんでした。ふくろうのおじさんに頼むのも、何だか気が引けました。その時でした。私の頭越しに手が伸びて、『ヤンダわくせいのはじまり』を棚から引き出したのは。
「この本が、いるんだね?」
「はい」
優しいその声の響きは、私を夢中にするには十分過ぎるくらいよく響きました。もちろん私より背が高く、身体もがっしりしていました。頼もしいヤンダの若者でした。ちょっと図書館にいるって感じではありませんが。
「困ったことがあったら、お互いさまだから。あっ、俺、ヒロ。宇宙船の整備士の勉強しているんだ。もう試験でねえ」
「ありがとう。私、ヤッチ。ヒロさんは、普段宇宙船いじっているんだ。通りで、本を読むって感じしなかったんだ。あ、ごめんなさい」
「いいんだよ。その通りなんだから。あわてて勉強しているだけなんだ。それに、ヒロでいいよ。みんなそう呼んでいるから」
今まで一度も男の人を好きになったことはありませんでした。と言えば嘘になります。好きな人がいても、好きにならないでおこうと思っている自分が、いつもそこにいるからです。こんな身体をしているので、どうせすぐ嫌われるだろうし、だいいち好きになってくれる人もいないだろうし。要するに私、劣等感の塊なんです。いろんな面において。何をやっても自信が持てない。でも、ひょっとすると明日から、私は変わっているかも。そんな予感がした出会いでした。
「じゃあ、また」
「試験受かったら教えてね」
「ああ」
ヒロは、試験対策の本を抱えて、そのまま出て行きました。私には、全く興味がないようです。きっと、試験のことで頭がいっぱいなんでしょう。連絡先も何も知らないし、試験合格しても、教えようがないんだから。でも、もし奇跡があるなら、もう一度会ってみたい。
ヤンダ惑星の歴史を調べるどころではありませんでした。私は、もうヒロのことで、頭の中がいっぱいになっていました。どこに住んでいるのかわからない。試験がいつ終わるのかさえ。もし、会えるとしたら、図書館しかない。借りた本をきっと戻しに来るから。次の日から私は、図書館に通いつめることになりました。
それから、数日が過ぎました。
「熱心だねえ。毎日毎日」
ふくろうのおじさんは、上目使いで私のほうを見ました。
「あの、私この前来たとき、ヒロさんって人いましたが、あれから彼はここに来ていますか?」
「ヒロさん、・・・。ああ、あのときの。あなたと一緒のヤンダの若者だね。まだ、あれから来ていないよ。ほんの貸し出し期限が2週間だから、もうそろそろ来るんじゃないかな」
その時、ヒロが入ってきました。
「あっ、ヒロさん。この方、あなたに何か用があるみたいですよ」
「やあ、こんにちは。えーと、確か・・」
「ヤッチ」
「そうそう、ヤッチだったね。また会ったねえ。用って何?」
「いえ、ちょっと試験の結果が気になったもので、どうしてるのかなって、・・」
「試験は、昨日受けたけど、まだ結果がわからないんだ。来週発表があってね」
「そう」
「これも何かの縁だから、ちょっとお茶でも一緒に飲まない? 試験終わって、暇だから」
「私、暇つぶし?」
「そういうわけじゃないよ。あの時全然話できなかったので、よかったらどう?」
「いいけど、宇宙船のこと、いろいろ教えてくれる?」
「そんなこと、お安い御用だよ」
あの時から、私は今日の来る日をずっと待っていました。
「ところで、あれからヤンダ惑星の起源わかったかい?」
「わかるにはわかったけど、あれからわからないことができて、ずっと図書館に来ていたの」
「好奇心が生まれるということはいいことだよ。それで何に興味が出てきたんだい?」
本当のことなんて、本人を目の前に言える訳ありません。言ったら最後、こんなふうに二人で会うこともできなくなってしまうかもしれない。
「今はまだヒミツ」
「まあいいや。そのうちいつか教えてくれよ。気になるから」
「はい」
これでよかったんだ。また会う約束できそうだ。なんてお互い思っていた。
その日はとりとめない話をして、連絡先を交換して二人は別れた。
ヒロの試験の合否発表がやってきました。自分のことのように朝からヤッチはそわそわしていました。そこへヒロから連絡が入りました。結果はあってから話すとのこと。図書館で会うことを約束して電話を切りました。ヒロに早く会いたいのに、合否も気になるのに、ゆっくり図書館に行きました。
ヒロは一人寂しく待っていました。なんとなく予想が付きました。こんな時になんて慰めればいいのか迷っていると、
「遅いじゃないか! どんな思いで待っていたと思うんだ!」
ヒロは怒っていて、「ごめんなさい」というしかありませんでした。
「あのう、それで試験の結果はどうだったの?」
「顔を見ればわかるだろう」
さっきから怒った顔しかしてないので、全く読み取れませんでした。
「また、来年頑張ればいいんじゃない」
少しでも怒りが収まればと思って、こんなことしか言えませんでした。
「何、もう一度試験受けろっていうのか? 合格したのに」
「じゃあ、何で会ったときからそんなに怒っていたの」
「ヤッチが遅いからだよ。待ちくたびれて、先にふくろうのおじさんに話してしまったよ」
ふくろうのおじさんは、こちらを見て軽く手を振りました。
「もう金輪際、『待たせる』はなしだよ」
「はい」
「ぼくと付き合ってほしい」
「・・はい」
「今度はよくできました。調子いいんだから」
ヒロは、私にとってもったいないくらいの彼でした。私の体のことは個性ぐらいにしか思っていなくて、短い人生ですが、長くやっていけそうな気がしました。いじけていたときのことを思えば、最高の幸運に出会いました。
もしも神様がいるなら信じたい気分です。いつしか調子の良い自分がいることに気が付きました。
「調子が良さそうだね」
「はい。おかげさまで」
参考:お話「ヤッチはヤンダ」
口演童話