演童話「ツバメのたからもの」
中からコツコツつついて、ぼくはたまごのからをわりました。
「おまえの名前は、つばさぶろうよ。はやくおとうさんのような、りっぱなツバメになってね」
と、ぼくのおかあさんが言いました。
またひとつ、たまごがわれました。
「おまえは、くろべえよ。おまえもおとうさんのような、りっぱなツバメになってね」
ぼくに、弟ができました。
もうひとつ、たまごがありましたが、みっつめは、二週間たってもわれませんでした。おかあさんは、悲しそうな目をして、そのたまごを土にうめました。
「あなたたちには、もう時間がないわ。間にあわないかもしれない」
ぼくたちが生まれたのは、七月でした。ふつうツバメは、五月、六月にたまごをうみ、七月、八月でとび方をおぼえます。
「何が、間にあわないの?」
ぼくは、おかあさんに聞きました。
「秋のわたりまでに、ふたりとも一人前にならないといけないの」
「わたりって、何のこと?」
「わたりというのは、わたしたちツバメが、春に日本にやってきて、秋に南の国に帰ることよ。日本と南の国とを行ったりきたりすることをわたりと言うの」
「いちにんまえって、どういうこと?」
と、今度は、弟が聞きました。
「ツバメは、いろんなことをおぼえなくてはならないの。まずは、えさである虫をつかまえなくてはなりません。おなかをすかせたままでは、長いわたりの間に力がつきて、海に落ちてしまうかもしれません。ツバメにとっては、虫をつかまえる練習は、生きるための練習なの。その練習をたくさんつみ重ねることが、一人前になっていくということよ」
「それで、どうしたら、虫をじょうずにつかまえられるの?」
「虫をつかまえるには、すばやくとぶことがたいせつです。虫をつかまえるということは、虫にすれば、自分がえさになって死ぬということ。だから、虫はひっしでにげるのはとうぜんです。こちらもひっしになって、おいかけなければなりません。一度おかあさんが虫をつかまえてみるから、ここで見ていなさい」
ぼくたちは電線に止まり、おかあさんが花のさく土手にとぶのを見ました。
それは、あっというまのできごとでした。おかあさんの体は、矢のように一直線にとんで、さっとミツバチをとらえて、もどってきました。
「まだ、すばやくとべないかもしれないけど、一度虫をとってみましょう。つばさぶろうから、やってみなさい」
「はい」
ぼくは、チョウをねらいました。
とぶ速さはチョウには負けませんが、ひらひら上下する動きがよくわかりません。チョウにかわされて、ぼくはもどってきました。
「もうちょっとだったのになあ」
ぼくはくやしがりましたが、
「おかあさんには、まだまだに見えたわ。しっかりと目でおいかけて、チョウがとぶ動きを思いえがくことがたいせつよ。今度は、くろべえ、やってごらんなさい」
「はい」
弟は、トンボをねらいました。
トンボは、ひっしでにげましたが、弟は力のかぎりおいかけました。
「それ、もう少しだ!」
そのとき、トンボが急に向きをかえました。
「あっ、いた!」
弟は、木の枝に頭をぶつけてしまいました。
「もう少しだったのになあ」
弟もくやしがりましたが、
「おかあさんには、まだまだに見えたわ。トンボをつかまえるには、急に向きをかえられなくてはなりません。それには、ツバメがえしという名人げいをおぼえなくては」
ぼくたちのとぶ練習は、毎日つづきました。だんだん速くとぶことができるようになりましたが、ツバメがえしはむつかしくて、まだできません。
月日は流れて、八月になりました。夏の日ざしは強くて、とぶ練習をしていても、すぐつかれてしまいます。
その日、とぶ練習を弟としていましたが、ぼくはひとりで、すに帰りました。しばらくして、おかあさんも帰ってきました。
「風を味方にすると、つかれなくてすむのよ、つばさぶろう。風にさからうと、おとなのツバメでも長くはとんでいられないわ。風は目に見えないので、体で感じておぼえるしかないの」
頭でわかっていても、おかあさんの言うようにはなりません。
「秋までに、虫をつかまえるわざをおぼえて、そのわざにみがきをかけるのよ。それに、とぶ練習は、自分の身を守ることにもなるの。速くとべないと、ワシやタカにおそわれるかもしれないでしょう」
「おとうさんは、ワシにおそわれて、なくなったって聞いたけど。とぶのが、へただったの?」
「何、言っているの! おとうさんは、ツバメがえしの名人よ」
「じゃあ、どうして、ワシなんかに」
「それは、・・」
おかあさんの目から、なみだがひとつぶ落ちました。おとうさんのことを思い出したらしくて、言葉がつまってしまったようです。ぼくは、おとうさんのことを聞かなければよかったと思いました。
「くろべえが、虫をつかまえる練習をしているから、いっしょにしてくるよ」
と言って、ぼくはとんで行きました。
弟は、よく練習をするので、ぼくより虫をつかまえるのもうまくなっていました。
「おーい、くろべえ! ・・。おや、どこへ行ったんだろう」
あちこちとび回ってさがしましたが、弟は見つかりません。心配でぼくは、急いでおかあさんに知らせにもどりました。
「くろべえー! くろべえー!」
おかあさんとぼくは、ビルの屋上にかけあがり、池のまわり見わたし、林の中をぬけました。畑をとびこえ、川をすべり、車の下もくぐりぬけましたが、どこにも弟はいません。
「まさか、ワシにおそわれたのでは」
と、おかあさんの頭に、考えたくもないことがうかんだとき、
「きゃあ、たすけてー! へびだー!」
弟は、みかん畑の石がきのすきまから、とび出してきました。
「はあはあ。ああ、よかった。ヘビにもカラスにもつかまらなくて」
カラスにおいかけられて、石がきのすきまにかくれていたようです。カラスがどこかへ行ったと思ったら、今度はへびが出てきたようです。
「カラスでよかったわ。ワシならやられていたかもしれない。ワシは、高いところから急におりてきて、えものにとびかかるんだから。おとうさんのときは、・・」
おかあさんは、おとうさんのことを話そうか、どうしようかまよっているようでした。
「そろそろふたりにも、おとうさんのことを話しておいた方がいいみたいね。おまえたちが生まれる少し前に、おとうさんはワシにおそわれたの」
ワシにおそわれたことだけは、聞かされていました。ぼくたちが知らないのは、そのときの様子でした。
「あの日、虫をつかまえる練習をしていた子ツバメがいて、ワシはその子ツバメをねらっていたの。おとうさんは、そのことに気がついて、ワシを自分の方に気を向かせるために、地面で羽をばたばたさせたの。ワシは、きずついたツバメの方がつかまえやすいと思って、ねらいをおとうさんにかえたの。おとうさんは、子ツバメがにげられるようにと、できるだけワシをひきつけたの。子ツバメは助かったけど、おとうさんは、・・。おとうさんは、りっぱなツバメだったのよ」
ぼくたちは、そんなおとうさんの子であったことをはじめて知りました。ゆめにまで見たおとうさんは、よその子ツバメを命がけで守ったのでした。おとうさんは、ぼくたちのほこりです。そのほこりをけがさないためにも、ぼくたちはひっしで、とぶ練習をしました。
だけど、もう時間がありません。今年はうまくとべないから、来年にしようというわけにはいかないのです。寒い日本で冬をすごすことは、死を意味しています。何がなんでも南の国にとんで行き、春にふるさとの日本に帰ってくることが、わたりのおきてです。
わたりの日の朝、おかあさんが言いました。
「つばさぶろう、くろべえ。これから南の国に帰ります。でも、長い旅のとちゅう、どんなきけんが待ちうけているかわかりません。もし、何かこまったことがあったら、このふたつの道具を使いなさい」
「何なの、その道具って?」
と、ぼくは聞きました。
「あなたは、トビにおいかけられて、まい子になったことがあったでしょう。よく知った庭のようなところでも、まい子になるものです。もし、目じるしのない海でまい子になったら、どうしたらいいでしょう。そのとき、この道具が役立つのよ」
「でも、ずっとそばでおかあさんが、いっしょにとんでいてくれるんだよね。まい子になるなんてことあるのかなあ」
「そうね。ないかもしれないわね。でも、もしものときには、持っていないとこうかいすることになるわ。なくさないように気をつけるのよ」
「ほかに、何か気をつけないといけないことがあるの?」
と、今度は、弟が聞きました。
「日本は、わたしたちのふるさとです。また来年ここに帰ってこられるように、昼間は、山や島の形をよくおぼえて、夜は星をよく見ておくのよ。住みなれたところにもどってこられることは、しあわせなことよ」
おかあさんは、ぼくたちにたいせつな道具をふたつずつわたしました。そして、ぼくたちツバメの一家は、南の国へと旅立ちました。
高くとんでいては、ワシにおそわれるかもしれません。ひくくとんでは、海のまものに海中深く引きずりこまれるかもしれません。ツバメには、ツバメのちょうどいい高さがあり、その高さでぼくたちはとんでいました。そして、そのとき、ぼくたち一家はまだぶじでした。
ところが、旅のはじめは何ごともなくおだやかでしたが、やがて南の空から黒い雲が、ヒツジの毛がのびるように近づいてきました。なまあたたかい風も、ふいてきました。
「このまま、まっすぐ進めば、きっとあらしにぶつかってしまうわ。おかあさんひとりなら、そうあわてもしないのだけれど。ふたりの体力のことを考えると不安だわ」
「ねえ、ひきかえそうよ。それがだめなら、あの黒い雲の上をとべばいい」
ぼくがそう言うと、弟は、
「島を見つけて、あらしが通りすぎるまで、しばらくそこにいればいい」
と、言いました。
ぼくたちは、それなりに考えましたが、あらしをさけるわけにはいかないようです。
「ひきかえしても、あらしがおいかけてくるだけです。雲の上をとぶことは、おとなのツバメにもできません。島をさがしている時間もないわ」
「じゃあ、どうしたらいいの?」
「南の国には行けないの? みんな、死んじゃうの?」
「心配はないわ。遠まわりになるけど、あらしの外がわをとびましょう。少しは、風がきついかもしれないけど、がんばったらとべるから」
ぼくたちは、今度のあらしがとてつもなく大きいことをまだ知りませんでした。遠まわりをしても、そのきけんからのがれることは、むつかしかったのです。
しだいに風が強くなり、雨もぽつりぽつりとふりはじめました。
「しっかりついてくるのよ。もしはぐれたら、海にういている何かに、しっかりしがみついていなさい。どこかで島かげを見つけたときには、力のかぎりそっちにとんで行くのよ。あとから、きっとむかえに行くから!」
おかあさんが、そう言い終わったときには、もう横なぐりの風がふき、はげしい雨がふっていました。
やはりぼくたちは、子ツバメでした。まだつばさに力はありませんでした。いちばん力の弱いぼくが、どんどんおくれていきました。
「おかあさん、もうだめだ!」
ぼくの声は、はげしいあらしにかき消されて、おかあさんには聞こえませんでした。弟は気がついたらしく、後ろをふり向きました。しかし、それがいけませんでした。
「にいさん! ああ、・・」
ふり向いたことによって、風にさからうことになりました。弟も、あらしの中に消えていきました。
おかあさんは、何か悪い予感がして、ふと後ろをふり向きました。
「つばさぶろう! くろべえ! どこへ行ったの?」
おかあさんが気がついたときには、ぼくらはもういませんでした。ぼくも弟も、自分がどこにいるのかもわかりませんでした。これが、わたりのきびしさであり、しぜんの中に生きるということでした。
どれくらい時間がすぎたことでしょう。ようやくあらしがすぎて、雲の切れ間に青空が見えました。
しぜんの力をまのあたりにしたおかあさんでしたが、どこかでぼくたちがちが生きていることを信じていました。大うなばらで、ぼくたちの名前をよびました。
「つばさぶろうー! くろべえー! ・・・」
まだ波があらく、おかあさんの声は海にくだけちりました。
それでも、おかあさんは、ぼくたちの生きるための練習が、むだではなかったと信じていました。かすかなのぞみも、すててはいませんでした。おかあさんは、声が出なくなるまで、ぼくたちの名前をよびつづけました。
きっと、おかあさんのいのりが通じたのでしょう。ぼくたちは、運よく生きていました。
流木を見つけて、それにしっかりしがみついていたのは、ぼくでした。でも自分が死んでいるのか、生きているのかわからないまま、波のゆれるのにまかせて、ただよっていました。
船の明かりを見つけて、あらしからぬけたのは、弟でした。船には、親切そうな日本人が乗っていました。
「かわいそうに、あらしではぐれたんだな。つれ帰って、めんどうをみてやろう。みょうこう山のツバメおんせんに入れば、また元気にとべるようになるぞ」
弟は、助かったのはいいが、何だか日本にぎゃくもどりするようで心配でした。それに、おんせんなんかに入れられてはたいへんです。羽の油がとれて、ますますとべなくなってしまいます。
「ぼくは、南の国に行きたいんだ!」
と、弟はさけびましたが、人間にはそうは聞こえませんでした。
「このツバメ、何かしゃべっているみたいだぞ。でも、ツチクッテ、ムシクッテシブイ!としか聞こえないなあ」
人間の耳には、ぼくたちの声が、おもしろおかしく聞こえるようです。
ぼくも弟も、とつぜんのあらしに、どこをどうとんできたのか、まったくわかりませんでした。これから、どこをめざしてとんで行っていいのかも、わかりませんでした。
そんなとき、ぼくは、おかあさんにもらったふたつの道具のことを思い出しました。
「たしか、こまったときには、道具を使えばいいと教えてもらった」
ぼくは、道具を取り出してみましたが、それが何であるのか、どうして使えばいいのか、わかりませんでした。
弟も、道具を手にして、
「この船から、はなれられる道具なら、いいのだけれど」
と、ながめるだけで、その使い方がわかりませんでした。
実はぼくたちが、持っていた道具というのは、コンパスと時計でした。その使い方は、まだわかりませんでした。だけど、今のぼくたちにとって、このコンパスと時計だけが、たよりでした。あらしで山や島の形を見ることも、星を見ることもできなかったのですから。
弟は、船にこのまま乗っていては、日本にぎゃくもどりになると思い、
「あたたかな家ですごせるかもしれないが、ひとりになるのはいやだ!」
と、さけんで、すきをみて船内をとび出しました。
「あっ! クチュクチュ、チュピチュピ、ツチクッテ、ムシクッテシブイ! と言って、にげちまったよ。元気でやっていけよー!」
日本人のはげましの声が、後ろから聞こえました。
船が小さく小さくなっていったとき、持っていたコンパスが、とぶべき方向をさし示しました。弟は、それにしたがいました。
ぼくの方はというと、流木の上でつばさを休めて、道具の使い方を考えていました。
「とにかく、とばないことには、先に進めないんだ」
ぼくは、思いきってとび上がりました。
そのとたん、流木が大きくはねあがりました。下を見ると、サメが流木をこなごなにくだいていました。ぼくは、サメにねらわれていたようです。そのとき、コンパスが、とぶ方向を示していることに気がつきました。ぼくは、それにしたがいました。
コンパスの示す通りにとんだぼくたちは、やがて海の上で出会いました。
「くろべえ、ぶじだったか?」
「にいさんこそ、だいじょうぶだった?」
ぼくたちは、自分たちのコンパスと時計を見せ合い、こわれていないことを知りました。もう一度力をふりしぼって、ぼくたちはとびました。すると、コンパスと時計で、どこに自分たちがいるのかわかりました。そして、時計で、おかあさんにいつ会えるかもわかりました。
ぼくたちにとって、コンパスと時計はなくてはならない道具でした。それは、おかあさんからもらったいちばんのたからものでした。
「つばさぶろうー! くろべえー! ・・・」
ぼくたちの耳に、おかあさんの声がとどきました。ぼくたちは、その声のする方向におかあさんを見つけました。
「みんな、えらかったわね。おかあさん、信じていて、よかった。本当によかった、・・」
おかあさんは、よろこびのあまり、あとの言葉がつづきませんでした。
ぼくたちは、その後もコンパスと時計をきずつけることなく、一生たいせつに使いました。そして、ぼくたちの子どもたちへも、それはうけつがれていきました。
ツバメのたび―5000キロのかなたから
だれかがぼくをよんでいる。とおくでぼくをよんでいる。にほんから5000キロもはなれたみなみのくにマレーシアから、1わのツバメがとびたった。南の島から飛び立ったツバメ。冷たい風に乗って、朝の光に向かって、雨の中も飛び続ける。海を越え、たどり着いたのは…。ツバメといっしょに旅をしている気分になれる絵本。
参考:口演童話「ツバメのたからもの」
口演童話
中からコツコツつついて、ぼくはたまごのからをわりました。
「おまえの名前は、つばさぶろうよ。はやくおとうさんのような、りっぱなツバメになってね」
と、ぼくのおかあさんが言いました。
またひとつ、たまごがわれました。
「おまえは、くろべえよ。おまえもおとうさんのような、りっぱなツバメになってね」
ぼくに、弟ができました。
もうひとつ、たまごがありましたが、みっつめは、二週間たってもわれませんでした。おかあさんは、悲しそうな目をして、そのたまごを土にうめました。
「あなたたちには、もう時間がないわ。間にあわないかもしれない」
ぼくたちが生まれたのは、七月でした。ふつうツバメは、五月、六月にたまごをうみ、七月、八月でとび方をおぼえます。
「何が、間にあわないの?」
ぼくは、おかあさんに聞きました。
「秋のわたりまでに、ふたりとも一人前にならないといけないの」
「わたりって、何のこと?」
「わたりというのは、わたしたちツバメが、春に日本にやってきて、秋に南の国に帰ることよ。日本と南の国とを行ったりきたりすることをわたりと言うの」
「いちにんまえって、どういうこと?」
と、今度は、弟が聞きました。
「ツバメは、いろんなことをおぼえなくてはならないの。まずは、えさである虫をつかまえなくてはなりません。おなかをすかせたままでは、長いわたりの間に力がつきて、海に落ちてしまうかもしれません。ツバメにとっては、虫をつかまえる練習は、生きるための練習なの。その練習をたくさんつみ重ねることが、一人前になっていくということよ」
「それで、どうしたら、虫をじょうずにつかまえられるの?」
「虫をつかまえるには、すばやくとぶことがたいせつです。虫をつかまえるということは、虫にすれば、自分がえさになって死ぬということ。だから、虫はひっしでにげるのはとうぜんです。こちらもひっしになって、おいかけなければなりません。一度おかあさんが虫をつかまえてみるから、ここで見ていなさい」
ぼくたちは電線に止まり、おかあさんが花のさく土手にとぶのを見ました。
それは、あっというまのできごとでした。おかあさんの体は、矢のように一直線にとんで、さっとミツバチをとらえて、もどってきました。
「まだ、すばやくとべないかもしれないけど、一度虫をとってみましょう。つばさぶろうから、やってみなさい」
「はい」
ぼくは、チョウをねらいました。
とぶ速さはチョウには負けませんが、ひらひら上下する動きがよくわかりません。チョウにかわされて、ぼくはもどってきました。
「もうちょっとだったのになあ」
ぼくはくやしがりましたが、
「おかあさんには、まだまだに見えたわ。しっかりと目でおいかけて、チョウがとぶ動きを思いえがくことがたいせつよ。今度は、くろべえ、やってごらんなさい」
「はい」
弟は、トンボをねらいました。
トンボは、ひっしでにげましたが、弟は力のかぎりおいかけました。
「それ、もう少しだ!」
そのとき、トンボが急に向きをかえました。
「あっ、いた!」
弟は、木の枝に頭をぶつけてしまいました。
「もう少しだったのになあ」
弟もくやしがりましたが、
「おかあさんには、まだまだに見えたわ。トンボをつかまえるには、急に向きをかえられなくてはなりません。それには、ツバメがえしという名人げいをおぼえなくては」
ぼくたちのとぶ練習は、毎日つづきました。だんだん速くとぶことができるようになりましたが、ツバメがえしはむつかしくて、まだできません。
月日は流れて、八月になりました。夏の日ざしは強くて、とぶ練習をしていても、すぐつかれてしまいます。
その日、とぶ練習を弟としていましたが、ぼくはひとりで、すに帰りました。しばらくして、おかあさんも帰ってきました。
「風を味方にすると、つかれなくてすむのよ、つばさぶろう。風にさからうと、おとなのツバメでも長くはとんでいられないわ。風は目に見えないので、体で感じておぼえるしかないの」
頭でわかっていても、おかあさんの言うようにはなりません。
「秋までに、虫をつかまえるわざをおぼえて、そのわざにみがきをかけるのよ。それに、とぶ練習は、自分の身を守ることにもなるの。速くとべないと、ワシやタカにおそわれるかもしれないでしょう」
「おとうさんは、ワシにおそわれて、なくなったって聞いたけど。とぶのが、へただったの?」
「何、言っているの! おとうさんは、ツバメがえしの名人よ」
「じゃあ、どうして、ワシなんかに」
「それは、・・」
おかあさんの目から、なみだがひとつぶ落ちました。おとうさんのことを思い出したらしくて、言葉がつまってしまったようです。ぼくは、おとうさんのことを聞かなければよかったと思いました。
「くろべえが、虫をつかまえる練習をしているから、いっしょにしてくるよ」
と言って、ぼくはとんで行きました。
弟は、よく練習をするので、ぼくより虫をつかまえるのもうまくなっていました。
「おーい、くろべえ! ・・。おや、どこへ行ったんだろう」
あちこちとび回ってさがしましたが、弟は見つかりません。心配でぼくは、急いでおかあさんに知らせにもどりました。
「くろべえー! くろべえー!」
おかあさんとぼくは、ビルの屋上にかけあがり、池のまわり見わたし、林の中をぬけました。畑をとびこえ、川をすべり、車の下もくぐりぬけましたが、どこにも弟はいません。
「まさか、ワシにおそわれたのでは」
と、おかあさんの頭に、考えたくもないことがうかんだとき、
「きゃあ、たすけてー! へびだー!」
弟は、みかん畑の石がきのすきまから、とび出してきました。
「はあはあ。ああ、よかった。ヘビにもカラスにもつかまらなくて」
カラスにおいかけられて、石がきのすきまにかくれていたようです。カラスがどこかへ行ったと思ったら、今度はへびが出てきたようです。
「カラスでよかったわ。ワシならやられていたかもしれない。ワシは、高いところから急におりてきて、えものにとびかかるんだから。おとうさんのときは、・・」
おかあさんは、おとうさんのことを話そうか、どうしようかまよっているようでした。
「そろそろふたりにも、おとうさんのことを話しておいた方がいいみたいね。おまえたちが生まれる少し前に、おとうさんはワシにおそわれたの」
ワシにおそわれたことだけは、聞かされていました。ぼくたちが知らないのは、そのときの様子でした。
「あの日、虫をつかまえる練習をしていた子ツバメがいて、ワシはその子ツバメをねらっていたの。おとうさんは、そのことに気がついて、ワシを自分の方に気を向かせるために、地面で羽をばたばたさせたの。ワシは、きずついたツバメの方がつかまえやすいと思って、ねらいをおとうさんにかえたの。おとうさんは、子ツバメがにげられるようにと、できるだけワシをひきつけたの。子ツバメは助かったけど、おとうさんは、・・。おとうさんは、りっぱなツバメだったのよ」
ぼくたちは、そんなおとうさんの子であったことをはじめて知りました。ゆめにまで見たおとうさんは、よその子ツバメを命がけで守ったのでした。おとうさんは、ぼくたちのほこりです。そのほこりをけがさないためにも、ぼくたちはひっしで、とぶ練習をしました。
だけど、もう時間がありません。今年はうまくとべないから、来年にしようというわけにはいかないのです。寒い日本で冬をすごすことは、死を意味しています。何がなんでも南の国にとんで行き、春にふるさとの日本に帰ってくることが、わたりのおきてです。
わたりの日の朝、おかあさんが言いました。
「つばさぶろう、くろべえ。これから南の国に帰ります。でも、長い旅のとちゅう、どんなきけんが待ちうけているかわかりません。もし、何かこまったことがあったら、このふたつの道具を使いなさい」
「何なの、その道具って?」
と、ぼくは聞きました。
「あなたは、トビにおいかけられて、まい子になったことがあったでしょう。よく知った庭のようなところでも、まい子になるものです。もし、目じるしのない海でまい子になったら、どうしたらいいでしょう。そのとき、この道具が役立つのよ」
「でも、ずっとそばでおかあさんが、いっしょにとんでいてくれるんだよね。まい子になるなんてことあるのかなあ」
「そうね。ないかもしれないわね。でも、もしものときには、持っていないとこうかいすることになるわ。なくさないように気をつけるのよ」
「ほかに、何か気をつけないといけないことがあるの?」
と、今度は、弟が聞きました。
「日本は、わたしたちのふるさとです。また来年ここに帰ってこられるように、昼間は、山や島の形をよくおぼえて、夜は星をよく見ておくのよ。住みなれたところにもどってこられることは、しあわせなことよ」
おかあさんは、ぼくたちにたいせつな道具をふたつずつわたしました。そして、ぼくたちツバメの一家は、南の国へと旅立ちました。
高くとんでいては、ワシにおそわれるかもしれません。ひくくとんでは、海のまものに海中深く引きずりこまれるかもしれません。ツバメには、ツバメのちょうどいい高さがあり、その高さでぼくたちはとんでいました。そして、そのとき、ぼくたち一家はまだぶじでした。
ところが、旅のはじめは何ごともなくおだやかでしたが、やがて南の空から黒い雲が、ヒツジの毛がのびるように近づいてきました。なまあたたかい風も、ふいてきました。
「このまま、まっすぐ進めば、きっとあらしにぶつかってしまうわ。おかあさんひとりなら、そうあわてもしないのだけれど。ふたりの体力のことを考えると不安だわ」
「ねえ、ひきかえそうよ。それがだめなら、あの黒い雲の上をとべばいい」
ぼくがそう言うと、弟は、
「島を見つけて、あらしが通りすぎるまで、しばらくそこにいればいい」
と、言いました。
ぼくたちは、それなりに考えましたが、あらしをさけるわけにはいかないようです。
「ひきかえしても、あらしがおいかけてくるだけです。雲の上をとぶことは、おとなのツバメにもできません。島をさがしている時間もないわ」
「じゃあ、どうしたらいいの?」
「南の国には行けないの? みんな、死んじゃうの?」
「心配はないわ。遠まわりになるけど、あらしの外がわをとびましょう。少しは、風がきついかもしれないけど、がんばったらとべるから」
ぼくたちは、今度のあらしがとてつもなく大きいことをまだ知りませんでした。遠まわりをしても、そのきけんからのがれることは、むつかしかったのです。
しだいに風が強くなり、雨もぽつりぽつりとふりはじめました。
「しっかりついてくるのよ。もしはぐれたら、海にういている何かに、しっかりしがみついていなさい。どこかで島かげを見つけたときには、力のかぎりそっちにとんで行くのよ。あとから、きっとむかえに行くから!」
おかあさんが、そう言い終わったときには、もう横なぐりの風がふき、はげしい雨がふっていました。
やはりぼくたちは、子ツバメでした。まだつばさに力はありませんでした。いちばん力の弱いぼくが、どんどんおくれていきました。
「おかあさん、もうだめだ!」
ぼくの声は、はげしいあらしにかき消されて、おかあさんには聞こえませんでした。弟は気がついたらしく、後ろをふり向きました。しかし、それがいけませんでした。
「にいさん! ああ、・・」
ふり向いたことによって、風にさからうことになりました。弟も、あらしの中に消えていきました。
おかあさんは、何か悪い予感がして、ふと後ろをふり向きました。
「つばさぶろう! くろべえ! どこへ行ったの?」
おかあさんが気がついたときには、ぼくらはもういませんでした。ぼくも弟も、自分がどこにいるのかもわかりませんでした。これが、わたりのきびしさであり、しぜんの中に生きるということでした。
どれくらい時間がすぎたことでしょう。ようやくあらしがすぎて、雲の切れ間に青空が見えました。
しぜんの力をまのあたりにしたおかあさんでしたが、どこかでぼくたちがちが生きていることを信じていました。大うなばらで、ぼくたちの名前をよびました。
「つばさぶろうー! くろべえー! ・・・」
まだ波があらく、おかあさんの声は海にくだけちりました。
それでも、おかあさんは、ぼくたちの生きるための練習が、むだではなかったと信じていました。かすかなのぞみも、すててはいませんでした。おかあさんは、声が出なくなるまで、ぼくたちの名前をよびつづけました。
きっと、おかあさんのいのりが通じたのでしょう。ぼくたちは、運よく生きていました。
流木を見つけて、それにしっかりしがみついていたのは、ぼくでした。でも自分が死んでいるのか、生きているのかわからないまま、波のゆれるのにまかせて、ただよっていました。
船の明かりを見つけて、あらしからぬけたのは、弟でした。船には、親切そうな日本人が乗っていました。
「かわいそうに、あらしではぐれたんだな。つれ帰って、めんどうをみてやろう。みょうこう山のツバメおんせんに入れば、また元気にとべるようになるぞ」
弟は、助かったのはいいが、何だか日本にぎゃくもどりするようで心配でした。それに、おんせんなんかに入れられてはたいへんです。羽の油がとれて、ますますとべなくなってしまいます。
「ぼくは、南の国に行きたいんだ!」
と、弟はさけびましたが、人間にはそうは聞こえませんでした。
「このツバメ、何かしゃべっているみたいだぞ。でも、ツチクッテ、ムシクッテシブイ!としか聞こえないなあ」
人間の耳には、ぼくたちの声が、おもしろおかしく聞こえるようです。
ぼくも弟も、とつぜんのあらしに、どこをどうとんできたのか、まったくわかりませんでした。これから、どこをめざしてとんで行っていいのかも、わかりませんでした。
そんなとき、ぼくは、おかあさんにもらったふたつの道具のことを思い出しました。
「たしか、こまったときには、道具を使えばいいと教えてもらった」
ぼくは、道具を取り出してみましたが、それが何であるのか、どうして使えばいいのか、わかりませんでした。
弟も、道具を手にして、
「この船から、はなれられる道具なら、いいのだけれど」
と、ながめるだけで、その使い方がわかりませんでした。
実はぼくたちが、持っていた道具というのは、コンパスと時計でした。その使い方は、まだわかりませんでした。だけど、今のぼくたちにとって、このコンパスと時計だけが、たよりでした。あらしで山や島の形を見ることも、星を見ることもできなかったのですから。
弟は、船にこのまま乗っていては、日本にぎゃくもどりになると思い、
「あたたかな家ですごせるかもしれないが、ひとりになるのはいやだ!」
と、さけんで、すきをみて船内をとび出しました。
「あっ! クチュクチュ、チュピチュピ、ツチクッテ、ムシクッテシブイ! と言って、にげちまったよ。元気でやっていけよー!」
日本人のはげましの声が、後ろから聞こえました。
船が小さく小さくなっていったとき、持っていたコンパスが、とぶべき方向をさし示しました。弟は、それにしたがいました。
ぼくの方はというと、流木の上でつばさを休めて、道具の使い方を考えていました。
「とにかく、とばないことには、先に進めないんだ」
ぼくは、思いきってとび上がりました。
そのとたん、流木が大きくはねあがりました。下を見ると、サメが流木をこなごなにくだいていました。ぼくは、サメにねらわれていたようです。そのとき、コンパスが、とぶ方向を示していることに気がつきました。ぼくは、それにしたがいました。
コンパスの示す通りにとんだぼくたちは、やがて海の上で出会いました。
「くろべえ、ぶじだったか?」
「にいさんこそ、だいじょうぶだった?」
ぼくたちは、自分たちのコンパスと時計を見せ合い、こわれていないことを知りました。もう一度力をふりしぼって、ぼくたちはとびました。すると、コンパスと時計で、どこに自分たちがいるのかわかりました。そして、時計で、おかあさんにいつ会えるかもわかりました。
ぼくたちにとって、コンパスと時計はなくてはならない道具でした。それは、おかあさんからもらったいちばんのたからものでした。
「つばさぶろうー! くろべえー! ・・・」
ぼくたちの耳に、おかあさんの声がとどきました。ぼくたちは、その声のする方向におかあさんを見つけました。
「みんな、えらかったわね。おかあさん、信じていて、よかった。本当によかった、・・」
おかあさんは、よろこびのあまり、あとの言葉がつづきませんでした。
ぼくたちは、その後もコンパスと時計をきずつけることなく、一生たいせつに使いました。そして、ぼくたちの子どもたちへも、それはうけつがれていきました。
ツバメのたび―5000キロのかなたから
だれかがぼくをよんでいる。とおくでぼくをよんでいる。にほんから5000キロもはなれたみなみのくにマレーシアから、1わのツバメがとびたった。南の島から飛び立ったツバメ。冷たい風に乗って、朝の光に向かって、雨の中も飛び続ける。海を越え、たどり着いたのは…。ツバメといっしょに旅をしている気分になれる絵本。
参考:口演童話「ツバメのたからもの」
口演童話