ジョークボックス「除夜の鐘」
大晦日に家で除夜の鐘を聞いていたが、鐘をつきに行ったことがある。もう何人かがつく順番を待っていた。みんな好きな間隔で突いていたので、テレビで聞く有名なお寺の鐘のように、厳かな感じはない。和尚さんが、数を数えているわけでもない。そこに居合わせた人が、数えていた。正確でないと思う。突くのを失敗して、2度突きになっている人がいた。108回になったのに、お父さんがこどもを抱き上げて突かしていた。突き足りない小学生たちが、大きな音を鳴らすのを競い合う。遅れてやってきた家族が、みんな突いて帰っていった。
「今年は、もうこれくらいしとこうか」と和尚さんが声をかけるが、最後の最後に突くのがいいらしい。なかなか終わりの鐘の音にならない。「じゃあこうしよう」と、鐘を突く棒に鈴なりになって、みんなで最後の一突きをして終わった。家で108回を数えたことがあるが、いつもそれ以上突かれるので、数え間違えたのかなと思っていたが、鐘を突きに行ってその謎が解けた。
「人間には108つの煩悩があるから、その数だけ突く。本当は、107つを旧年中に突いて、最後のひとつは新年になって突くのが習わしです。今年も新年に多く突いてしまいました」と、和尚さんのうんちくは毎年同じらしい。誰も耳を貸していない。みんな「紅白はどっちが勝った?」「今年の初詣はどこへ行こうか?」とひそひそ話しをしている。ここに集まった人たちの煩悩は、108個以上あるように思えた。だから、108回以上突いているのだ。
「和尚さん、今年も108回以上鳴らしましたねえ」
「いいえ、108回です」
「どう数えたって、突き過ぎでしょう」
「先に突いたのは、試し突きです。あとの108個が本突きです」
数の帳尻を合わして、うんちくも正しかった。こんなふうに、おおらかに新年を迎えた。
参考:ジョークボックス「除夜の鐘」
ノートルダム・ド・パリ
宿命的な恋愛、情熱、嫉妬…人間の生々しい感情を、詩情に富んだ自由奔放な手法で描き出したロマン主義文学の典型的なヴィクトル・ユーゴーの作品。ノートルダム寺院の鐘付き男・カジモド。その容姿は誰もが恐れるほど醜いが、心は誰よりも澄み渡っていた。そんな彼が、ひょんなことから出会ったジプシーの美女・エスメラルダに恋をする。
ジョークボックス
大晦日に家で除夜の鐘を聞いていたが、鐘をつきに行ったことがある。もう何人かがつく順番を待っていた。みんな好きな間隔で突いていたので、テレビで聞く有名なお寺の鐘のように、厳かな感じはない。和尚さんが、数を数えているわけでもない。そこに居合わせた人が、数えていた。正確でないと思う。突くのを失敗して、2度突きになっている人がいた。108回になったのに、お父さんがこどもを抱き上げて突かしていた。突き足りない小学生たちが、大きな音を鳴らすのを競い合う。遅れてやってきた家族が、みんな突いて帰っていった。
「今年は、もうこれくらいしとこうか」と和尚さんが声をかけるが、最後の最後に突くのがいいらしい。なかなか終わりの鐘の音にならない。「じゃあこうしよう」と、鐘を突く棒に鈴なりになって、みんなで最後の一突きをして終わった。家で108回を数えたことがあるが、いつもそれ以上突かれるので、数え間違えたのかなと思っていたが、鐘を突きに行ってその謎が解けた。
「人間には108つの煩悩があるから、その数だけ突く。本当は、107つを旧年中に突いて、最後のひとつは新年になって突くのが習わしです。今年も新年に多く突いてしまいました」と、和尚さんのうんちくは毎年同じらしい。誰も耳を貸していない。みんな「紅白はどっちが勝った?」「今年の初詣はどこへ行こうか?」とひそひそ話しをしている。ここに集まった人たちの煩悩は、108個以上あるように思えた。だから、108回以上突いているのだ。
「和尚さん、今年も108回以上鳴らしましたねえ」
「いいえ、108回です」
「どう数えたって、突き過ぎでしょう」
「先に突いたのは、試し突きです。あとの108個が本突きです」
数の帳尻を合わして、うんちくも正しかった。こんなふうに、おおらかに新年を迎えた。
参考:ジョークボックス「除夜の鐘」
ノートルダム・ド・パリ
宿命的な恋愛、情熱、嫉妬…人間の生々しい感情を、詩情に富んだ自由奔放な手法で描き出したロマン主義文学の典型的なヴィクトル・ユーゴーの作品。ノートルダム寺院の鐘付き男・カジモド。その容姿は誰もが恐れるほど醜いが、心は誰よりも澄み渡っていた。そんな彼が、ひょんなことから出会ったジプシーの美女・エスメラルダに恋をする。
ジョークボックス